こんばんは、木ノ下コノキ(@kinoshitakonoki)です。
今回から、少しずつ管理人が思う「怖い」映画やドラマ、本を紹介していきます。
本日は
映画「残穢(ざんえ)ー住んではいけない部屋ー」
映画『残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−』予告編 - YouTube
監督 中村義洋 脚本 鈴木謙一
原作 小野不由美「残穢」新潮社刊
出演 竹内結子、橋本愛、滝藤賢一、佐々木蔵之介、坂口健太郎他
あらすじ
この物語は、その奇妙な「音」から始まった。ホラー小説家の「私」の元に久保さんという女子大生から一通の手紙が届いた。「今住んでるマンションで奇妙な音がするんです」その音が何か...の調査をすることになった「私」と久保さん。調べていく中で、そのマンションに住んでいた過去の住人が、引っ越した先で自殺や無理心中、殺人などの事件を起こしていたことが判明する。
目次
残穢【ざんえ】の意味
この映画のタイトル残穢【ざんえ】とは、「残り物や汚れたもの、体内に生じたかす」という意味だ。
それでもこのタイトルの意味がわからないのでさらに追及してみる。
残穢のは残は「残った、残り」、穢は「穢(けがれ)」。
「穢(けがれ)」の本来の意味は、宗教的な神聖観念のひとつ。
人畜の死や女性の月経、出産を「穢(けがれ)」としている。
昔から日本では心身がきよらかではないことを「穢れる(けがれる)」といい、穢れたものは古代日本から、忌み嫌う傾向にある。そして穢れた者は隔離される。
あまり書くとここだけでネタバレになりそうなので
さらに穢れについて調べたい方はこちらをどうぞ。
残穢【ざんえ】の意味を調べるだけでこの映画の本質が分かったようになるから恐ろしい。
それでは、本編についての感想を書いていこうかと思う。
複雑な人間模様とオカルト要素満載の映画
「残穢~住んではいけない部屋」は昔々のそのまた昔を辿っていく映画。
その中の人間模様と間に挟むオカルト要素がこの映画の楽しみである。ただ登場人物の多さに頭悩まされるが主要人物だけ押さえていれば問題なく観れる映画だ。
ここから、「ネタバレ」感想になりますので、まだ観てないよって方は気をつけてください。
ネタバレ注意と掲げてるが、あまり物語の内容には触れていない。
本当に感想一択と言ってもいいくらいに、物語を辿って内容は書いてはいない。
ただ、人によってはネタバレと感じることもあるのではないかとタイトルには記載しています。
一回目の感想と二回目の感想は違った
一回目
見終わって最初に思ったのが、 「ホラー好きには物足りなかったな」だった。
この物語はホラー小説家の主人公「私」が相談を持ち掛けた久保さんと、相談内容を突き詰めていくという、定番なものだがその先にある「何か」にすごく惹かれるものがあった。
だが、一通り全部観てみて少し残念な部分もあった。
映画として画面的に華やかにしたかったのか、佐々木蔵之介や坂口健太郎のようなイケメンと言われる俳優陣を出してきたことだ。
そしてこの二人が出るそんなに重要と感じないシーンがやたらと長い、いや長いと感じただけだろうか。正直、この二人のシーンはいらない。
個人的に、この二人の俳優さんは好きだし出演しているのは嬉しいのだけど、この映画には必要だったのか?(そもそもこのキャラクターが)
そしてもうひとつの残念なシーンはこの映画の最後にある。
ただ最後までのネタバレはしない。気になる方は是非本編を。
二回目
物語の途中、作家役の佐々木蔵之介が初めて出るシーン。
喫茶店で主人公の「私」が編集者の女性と解決したように見えた「この一連の事件」を「何かが引っかかる」と言って想像を膨らましていたときにこの作家が「私」に声をかけた。
その引っかかる「何か」の謎に迫るきっかけとなったのがこの作家の存在だ。
一回目に観た感想で残念な部分と表現したがこのシーンは無駄ではなかった。
そしてすぐに、引っかかる「何か」の存在が分かる文献を用意してくれる仕事の早い作家である。
さらに言うと、ミステリーオタク会社員役の坂口健太郎もしっかり役割を果たしていた。
この存在が居なかったら、物語は次に進めなかったからだ。
そして
穢れと災いの連鎖
私宅監置(いわゆる座敷牢)
便所
出産
赤子...など
この映画には
残穢の言葉の意味を調べているときに出てきた言葉ばかりが立ち並ぶ。
この映画は「残穢」そのものだ。
この映画には面白い点がある
「怖い」と思わせる演出だ。
「リング」の貞子や「呪怨」の伽椰子のように、怖がらせるキャラクターが存在するものが多い中、「音」や「黒い影」など特定のキャラクターを作らないことで、この日常に普通に起こりそうな「不安」を植え付けて行く。
実際に、「音」や「影」で霊たちは存在する。
それが気になってはいても、実際にその原因となるものを辿ってみたことはない。
住んでいたものが自殺したり、無理心中をするような事になるような悪霊みたいなものがいる場所には近寄らないから、コノキにはそういうことは起こったことは無いがよく肩が凝ったり病気になったりと様々な症状が出たりする。
話がズレすぎたが、きっとこういうことは本当にあるんだろうなと身近なことのように思え、それがかえって怖さを倍増させている。
「音」で思い出したが、「着信アリ」も携帯の着信「音」で怖さを盛り上げていた映画だった。うん、あれに近い怖さと言えるでしょうか。
この、せっかくの怖さの演出が、この映画の最後に半減どころではなく9割くらい無駄になったのではないか。最後のアレがすべてを台無しにしているといっても過言ではない。(この文章は一回目を見終わったときの感想だったが書き直そうと思う)
二回目を観ると、流れは分かってるから物語の細部まで観ることができた。
一回目には最後にしか出てこないと思っていたアレも、実は何度か登場していた。
そしてそれの登場によって物語が進み怖さも増していた。
一回目には無駄と思えていた色んなものが、二回目によって実は必要だということに気付かされたということだろうか。
恐怖の連鎖
昔々のその昔の事件を辿っていくとすべてがつながる。これぞ穢れと災いの連鎖。
話しても祟られる
聞いても祟られる
この物語の本質はこの二行に詰まっている。
だれかがこれを伝えることで、また祟りが連鎖する。
そう
あなたももう、祟られているかもしれない。
ソッと押してくれると霊がはしゃぎます
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